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  • 第10話「何故、大人向け電子書籍絵本を始めたのか?」

    時は2005年、日本は学生起業家やガレージカンパニーがスーパーベンチャーにのし上がるなど、不況からの再生を沢山の若者が自力で挑戦していました。 私も小粒ながら29歳当時であり、体力と時間、そして失うものは命くらいだったので、その時の人生の全てをベンチャー経営に注ぎました。 実際には7年ほどそれに取り組み、数々の逸話も創ることができましたが、2008年に発生したリーマンショックの影響で外部環境がそこから数年停滞したため、IPO計画は相当先延ばしの見通しとなり、私は2011年8月末でベンチャー企業から退任し、2011年9月1日に今の個人事務所である ピースライフジャパン を京都で創業しました。 天気の悪い、小雨の降るどんよりとした日を今も覚えています。 その7年間の中で、余りにも偶然ですが、その当時の住まいも徒歩5分圏内と近所であった佐藤さん(サトウヒロシ)との交流は大いに酒を酌み交わし、激しい人生論をやり取りし、そして遊びも頂点レベルに達し、それぞれ別々の仕事をしていましたが、私が個人で独立する際に温めていた大人向けの癒しの絵本ビジネスのことを彼に話してみました。 すると、丁度、彼も数年後には独立する考えでいて、何かオリジナルのメディアが持ちたいと思っていたようで、私たちの構想は完全一致することに至りました。 これは私にとっては孔明を得た劉備の如くの素晴らしい出来事でした。 しかし、ここからがビジネスの障壁に数秒でぶつかるのです。 【当時のビジネス問題】 1.二人とも絵本など創ったこともない。 2.電子出版など、どのように制作するかも検討もつかない。 2011年当時はアマゾンも漸く、日本でのキンドル(電子書籍サービス)を展開しようという手探り感満載の状況で、また、それまでの電子書籍と言えばPDFで読む活字モノが主であり、まして絵本など皆無に近かったと思います。 1の創作課題に関しては既存の絵本を読みまくり、構成を独学で考えることにしました。 この件はまだ良かったのですが、2の電子化は技術の問題であり、単なる営業マンの私が簡単にマスターできるものではなかったです(ウェブデザインの仕事はしていましたが領域が異なり、未知の世界でした) その解決のために、まずはPDFでの制作販売を考えました。 このフローは簡単です。手描きでもデザインデータでもPDFにするだけですが、このファイル形式の問題はPDFを譲渡してしまうため、著作権を守れないリスクがあることです。 つまり、PDFを入手した読者が誰かにそのファイルを流せてしまうということです。 ということで、数秒でボツ。 次に、フリーソフトです。 横浜の素晴らしいITベンチャーが独自の電子書籍ソフトを開発していて、良かったのですが 再生環境がWINDOWSのみで、様々なデバイスに対応することを最初から想定していたため、残念ながら断念しました。 更に、後々ビジネスパートナーとなるのですが、国内最強の電子書籍制作システムを展開しているスターティアラボさんにサービスを問い合わせすると、とんでもない導入金額とメンテナンス費用の返事が返ってきて、とても投資回収が不可であり、これも断念しました。 このように技術面での袋小路が当初の大問題であり、デビュー作品を販売するまでに4年もの時間が経過してしまった訳です(しかし、その間も多大なるチャレンジはしています。その件はまた後で説明します) 私の新規ビジネスである 「絵本屋.com」 はこんな危うい船出で始まりました。 この創業秘話シリーズでは、2015年11月に最初の作品である、 サトウヒロシ「万年筆画絵巻レノン40」 を販売するまでをお伝えします。 そろそろ、このシリーズは佳境を迎えていきます…。 絵本屋.com とは 2015年11月からサービスを開始した、大人向け電子書籍絵本レーベル。 大人が笑える、泣ける、癒されるといったピュアな感情を得られる絵本を所属の絵本作家陣と共に創作し、各種電子書籍絵本ポータルサイトで販売している。代表作のサトウヒロシ作 「明日死ぬかもしれないか今お伝えします」 はアマゾンキンドルストア総合ランキング第2位を獲得する大ヒット作(2018年12月にMBS「ちちんぷいぷい」に今井とサトウヒロシが生出演で作品が放送されている)絵本屋.comの一部の作品は海外でも人気を博し、中国、台湾、韓国、アメリカで紙書籍、電子書籍で流通している。

  • 第11話「何故、大人向け電子書籍絵本を始めたのか?」

    私が絵本屋.com 、 大人向けの電子書籍絵本レーベルを立ち上げた理由は、10話までの内容から、私自身が元々絵描きになりたかったこと、エンターテインメントの道に進みたかったことが大きな理由なのですが、ベンチャーで過労死しそうなくらいハードワークをしていた際に、心の癒しこそが現代人に最も必要なものだと確信したためでもありました。 社会人は、平日は労働に身を捧げ、週末に自分を取り戻すような1週間を延々送っているように思います。 経済社会の仕組みがそうであるから仕方ないのですが、そのような暮らしにはリフレッシュがとても必要であり、そのためにエンターテインメントが存在しているのだと思います。 特に芸術や音楽、空間などは瞬時に大人の心を日常に誘ってくれる素晴らしいエンターティンメントです。 それをもっと身近に、簡単に、スマホ1台で味わえないかと思い、考えたのが大人が楽しめる電子書籍絵本でした。 ワンピクチャー、ワンテキストのシンプルな構成で展開される絵本には、絵画と物語の両方を楽しめる要素があり、マンガのような騒々しさもなく、ゆっくりと自分のペースでじわじわと物語を堪能できると考えたためでもありました。 このような企画を佐藤さん(サトウヒロシ)と話し、賛同してくれた際には最高に嬉しかったことを今もしっかりと記憶しています。 それからは10話で述べた通り、絵本作りのトライアンドエラーの連続でした。 また、作家集団として成立させるために、リクルート活動も相当行いました。 京都の芸大数校へ出向き、在学生やOBOGへのアプローチ。 ウェブサイトやSNSでのPR。 2011年当時のことですから、大人向けの電子書籍絵本はかなりインパクトがあったようで、メディアからも注目を得ましたが、絵本作家志望者からの注目が相当多かったです。 そのため、かなりの応募者を獲得することができました。 しかし、電子書籍化の技術克服とビジネスモデルの構築に頭を悩ましていため、まずはサービスを知ってもらうために、その当時はGMOグループが運営していたパブーという電子書籍ポータルサイトで短編絵本(当時はショートショート絵本と呼称していましたが)を無料でドンドン世に出していこうというプロジェクトを作家陣と組み、活動していました。 そのショートショート絵本の一部はムービー化して、 絵本屋.com のHP に挙げていますので以下より是非ご覧下さい! ショートショート絵本 今では出版社経由での販売やKDP経由(アマゾンの自主出版システム)の販売もコントロールできるようになりましたが、当時のKDPは著者登録も複雑で、データ作成も何だかよく解らないのと、販売後のアフターフォローもどうすれば良いか検討もつかなかっため、今では反省していますが、電子書籍最大の市場であるアマゾンでの販売までに相当な年数が経過してしまいました。 その混迷の黎明期に、私はビジネスモデル構築のために大きな決断を行いました。 それがビジネススクールに通うことでした。 時は2013年の秋ごろのことです。 絵本屋.com とは 2015年11月からサービスを開始した、大人向け電子書籍絵本レーベル。 大人が笑える、泣ける、癒されるといったピュアな感情を得られる絵本を所属の絵本作家陣と共に創作し、各種電子書籍絵本ポータルサイトで販売している。代表作のサトウヒロシ作 「明日死ぬかもしれないか今お伝えします」 はアマゾンキンドルストア総合ランキング第2位を獲得する大ヒット作(2018年12月にMBS「ちちんぷいぷい」に今井とサトウヒロシが生出演で作品が放送されている)絵本屋.comの一部の作品は海外でも人気を博し、中国、台湾、韓国、アメリカで紙書籍、電子書籍で流通している。

  • 第9話「何故、大人向け電子書籍絵本を始めたのか?」

    京都のインテリジェントビルのベンチャールームは2名が限定のブース毎にベンチャーが入居する区割りのフロアで、2005年のベンチャーブーム時代においては中々最先端なテナントでした。 その小さな区割りブースの背中合わせに、夜から出勤してくる、とある人物との出会いがこの後、絵本屋.comを創るきっかけとなったのです。 当時、私は誰よりも早く、そのベンチャールームに出社し、誰よりも遅く退社していました。 その退社時間が大体、23時頃でしたが、その時間から朝方まで勤務するという完全夜型の人物がいました。 最初は私が帰る際に見かけるくらいで、全く印象に残らない存在でした。 というよりも本人も存在感を消していたそうです。 夜中に出社していた理由も人と会いたくなかったからだと、後でその人物から教えてもらいました。 私のブースと背中合わせのそのブースは医学博士が経営するメディカル系ベンチャーでしたが、医学系の書籍も出版されていて、そのデザインを担当していたのが、その夜中から来る人物であり、医学博士の息子さんでした。 そんな日々が続くある日、少しの間だけその彼と二人の時間が発生しました。 そろそろ帰宅しようとする私は、後ろの人に挨拶をして帰ろうかと、そのブースを覗くと、 余りにも見事なイラストをPCで描かれていて、イッキに話しかけたくなりました。 「あの、凄いイラストですね!デザイナーなんですか?」 それが、まだ神戸大学に在学中(8回生?)のヤング 「サトウヒロシ」 との出会いであったのです。 佐藤さんは「あ、はい」とかなり緊張した様子で返事をすると、話しかけて欲しくないオーラを爆発させていました。 しかし、私は元々絵描き志望ですから、興味津々です。 私「デザインとかイラストとかかなり好きなんですよ。天野喜孝さんなんて最高ですよね!」 このキラーワードに、佐藤さんは「え!そうなんですか!ボクも大好きです」と前のめりになって態度を変容させたのでした。 その後、二人でかなりオタクな話で盛り上がり、ここから私たちの関係は相当な密度を増していくのでした。 絵本屋.com とは 2015年11月からサービスを開始した、大人向け電子書籍絵本レーベル。 大人が笑える、泣ける、癒されるといったピュアな感情を得られる絵本を所属の絵本作家陣と共に創作し、各種電子書籍絵本ポータルサイトで販売している。代表作のサトウヒロシ作 「明日死ぬかもしれないか今お伝えします」 はアマゾンキンドルストア総合ランキング第2位を獲得する大ヒット作(2018年12月にMBS「ちちんぷいぷい」に今井とサトウヒロシが生出演で作品が放送されている)絵本屋.comの一部の作品は海外でも人気を博し、中国、台湾、韓国、アメリカで紙書籍、電子書籍で流通している。

  • 第8話「何故、大人向け電子書籍絵本を始めたのか?」

    1999年4月から私の社会人生活は始まりました。 今からもう25年前ですね。 仕事と音楽の両立を目指してはいたものの、世間は激動期であったのとスーパー営業会社での日々は痛切なもので、とても音楽などしている暇は有りませでした。 当初から1年くらいの社会人経験で良しと考えていたので、予定通り、その最前線からは離脱し、ずっと前に考えていたフリーター生活に移行しました。 残業がなく、土日祝が完全に休めるアルバイトでただ暮らしていけるレベルで良いと考えた私は倉庫内の肉体労働を選びました。確か、8時30分始業の17時終業という余りにも規則正しい職場でした。 このアルバイトをしながらセミプロのミュージシャンのレッスンを受けつつ、時々ライブをするようになりましたが、この倉庫内の肉体労働はとてもとてもハードだったため、半年間で辞めることにしました。時間はできたのですが、帰宅後に体力が続かず、断念しました。 そこで求人誌を見て、飛び込んだのが新卒の就活時に会社説明会のみ参加したリクルートのグループ会社でした。 運良く採用され、求人広告営業マンとしてまたビジネスシーンに復帰しました。 リクルートグループは超優良企業でしたので、休日、福利厚生共に最高レベルで、残業もありますが自分の力量で何とでもコントロールできるため、1社目の有線放送のような過酷さは全くありませんでした。 その当時の私にはこれもまたカルチャーショックでした。 リクルートは日本の企業だけど、中身は外資家企業のようなアグレッシブさと柔軟さを持ち合わせていて、非常に合理的。そして体育会系出身のインテリ集団であり、その人材力の凄さを肌で感じ、その際に初めて「起業」を意識しました。 なんせ、次々と異動や出向、グループ再編、そして起業などが展開していく機動力のある組織でしたので20代前半の私にとっては刺激的でした。 「そうか、起業という手段を用いれば、自分の時間もやりたいことも実現できるかもしれない」 そう心を躍らせたことを今でも覚えています。 リクルートグループでの仕事ぶりは水を得た魚のようにしっくりきて、会社からも評価を頂ける営業マンになっていました。 このまま、ビジネスマンとして成功を目指すのも面白いのかなと思ったのもそれが初めてでした。 また、セミプロミュージシャンのところでレッスンをし直したりして、今度こそ仕事と音楽の両立を目指していきましたが、先ほど述べた、かすかな起業マインドがメラメラと燃え始めていたことに気づかされました。 実はその頃には、自分にはミュージシャンの素養がないこと、絵描きとしての人生も再開できないことを実感していましたので、本当に自分に向いているだろう道を模索する心境が芽生えていました。 ここから超端折りますが、リクルートグループはその後、もう1社(人材紹介)経験し、その時期に一人で会社を創業したての私より2つ年下の起業家と出会い、一緒にIPOを目標にベンチャー経営を進めて行くのですが、時は2005年の春ごろのことでした。 その小さな人材系ベンチャーをまだ2名で経営していたところ、京都の有名なインテリジェントビルの中に開設されたベンチャールームで、ダイヤモンドの原石と言えるクリエイターと出会うのでした。 この出会いが、2011年に絵本屋.comをスタートさせるきっかけとなる運命的な出来事だったのです。 絵本屋.com とは 2015年11月からサービスを開始した、大人向け電子書籍絵本レーベル。 大人が笑える、泣ける、癒されるといったピュアな感情を得られる絵本を所属の絵本作家陣と共に創作し、各種電子書籍絵本ポータルサイトで販売している。代表作のサトウヒロシ作 「明日死ぬかもしれないか今お伝えします」 はアマゾンキンドルストア総合ランキング第2位を獲得する大ヒット作(2018年12月にMBS「ちちんぷいぷい」に今井とサトウヒロシが生出演で作品が放送されている)絵本屋.comの一部の作品は海外でも人気を博し、中国、台湾、韓国、アメリカで紙書籍、電子書籍で流通している。

  • 第7話「何故、大人向け電子書籍絵本を始めたのか?」

    1995年4月に私は京都の大学生になったのですが、その前に1995年1月に阪神淡路大震災、1995年3月オウム真理教による地下鉄サリン事件ととんでもない災害、事件が起きていました。 つまり、相当カオスな時期に私は上京都することになったのでした。 入学時も京阪神には大震災の影響が残り、神戸方面から進学してきた同級生たちは自宅が崩壊しているなど、厳しい状況下のままでした。 そんな時代でしたので、中々晴れの大学生活という明るい雰囲気ではなく、重々しい雰囲気がありました。 そして何より大衆大学に進学した私には京都の学歴格差社会というカルチャーショックが待ち受けていました。 要するに難関大学、銘柄大学以外はアホ扱いされる超厳しい向かい風が吹くことを18歳で初めて知ったのでした(今の多様性やらなんやらの時代ではNGな差別的なふるまいは実に普通でした) そのようなレッテル文化を味わったのと、滑り止めということと、尚且つ大学進学はミュージシャンになるための口実であると割り切っていたため、スグに自主退学しようと考えました。 しかし、親の手前、それはできないと道徳心が抑止力を働かせ、世間からアホ扱いされながらも兎に角、留年せずに卒業しよう、そして4年間の間に音楽活動に集中していこうと思い、音楽サークルに入ったのですが、大学近くのプレハブのようなアパートに住んだのが失敗で、ギターは騒音問題で思うように弾けず、ドンドン中途半端さが増していき、2回生の時に音楽サークルも辞めてしまいました。 まさにモラトリアムな日々を送るようになっていきました。 要領良く日々を過ごし、音楽的センスもなく、技術も進歩せずで袋小路状態であった私はそれでも夢を諦めずに長期戦モードに移行し、一度は就職した上で夢を追いかける選択をしました。 時はバブル経済崩壊後の大不況時代であり、超就職氷河期。 就職活動の話だけで、相当なシリーズになりますが、これもこの創業秘話シリーズでは割愛しまして、どうせ、どこで働いても厳しい社会人生活だと踏んだため、音楽関連の企業に就職しようと思い、当時は大阪本社の有線放送に営業として就職しました。 まだまだ私のキャリアドリフトは続いていきます…(無計画甚だしいアホですよね) 絵本屋.com とは 2015年11月からサービスを開始した、大人向け電子書籍絵本レーベル。 大人が笑える、泣ける、癒されるといったピュアな感情を得られる絵本を所属の絵本作家陣と共に創作し、各種電子書籍絵本ポータルサイトで販売している。代表作のサトウヒロシ作 「明日死ぬかもしれないか今お伝えします」 はアマゾンキンドルストア総合ランキング第2位を獲得する大ヒット作(2018年12月にMBS「ちちんぷいぷい」に今井とサトウヒロシが生出演で作品が放送されている)絵本屋.comの一部の作品は海外でも人気を博し、中国、台湾、韓国、アメリカで紙書籍、電子書籍で流通している。

  • 第6話「何故、大人向け電子書籍絵本を始めたのか?」

    高3の秋口に気胸となった私は手術と2週間の入院生活を余儀なくされたのですが、その相部屋が呼吸器循環器病棟であったため、6人の患者は誰もが重病患者でした。 一人はもはや生きる気力もなくなり、ずっとカーテンを閉め、誰ともコミュニケーションを取ろうとしない方、そして私の前には認知症が進み、自分の症状が理解できていないお年寄りの女性。 ある日、その女性のもとに一人の若い男性が現れたのですが、私の目の前のベッドですのでその様子がそのまま伺え、目を凝らしていると、その男性が1冊の本を取り出し、その内容を読み始めました。 その本が何なのか、スグに解りました。 聖書です。 このような光景を17歳くらいの私が目にすることなどないのですが、その行為が何なのかもスグに理解できました。 「終末医療の一環か。確か、このお年寄りは明日、手術だったから。もしかして…」 次の日にそのお年寄りの手術が行われたのですが、その後、ICUから意外と早くに相部屋に戻られてきた際に、どうも足が壊死していたのか両足を切断する大手術を受けられていたことが解りました。 その夜中に術後の激痛があったのか、その方が泣き叫ばれたため、私が代わりにナースコールをしました。 と、いうような生死をリアルに考えさせる現場経験を積みました。 他にも色々エピソードはありますが、このシリーズでは長くなりすぎるため端折ります(笑) まあ、この時にダメダメだった腐った私のマインドがマシな方向性に軌道修正されたのでした。 「生きる意味をもっともっと考えて行こう」 そして2週間が経ち、退院と共に第一志望の大学の推薦入試を受験しましたが、当然ながら勉強はストップしていたため、不合格。その後、一般入試でその大学に2回挑戦しましたが全くダメでした(全然勉強していないアホには偏差値60の壁って高いなーと痛感させられました) 結局、私は滑り止めの大衆大学へ進学し、京都の大学生になったのでした。 花の都「大京都」は憧れの街でしたので、兎に角、一人暮らしと音楽漬けの日々を夢見て、上京都したのでした。 しかし、大都会「京都」で新たなカルチャーショックに翻弄されることとなるのです。 絵本屋.com とは 2015年11月からサービスを開始した、大人向け電子書籍絵本レーベル。 大人が笑える、泣ける、癒されるといったピュアな感情を得られる絵本を所属の絵本作家陣と共に創作し、各種電子書籍絵本ポータルサイトで販売している。代表作のサトウヒロシ作 「明日死ぬかもしれないか今お伝えします」 はアマゾンキンドルストア総合ランキング第2位を獲得する大ヒット作(2018年12月にMBS「ちちんぷいぷい」に今井とサトウヒロシが生出演で作品が放送されている)絵本屋.comの一部の作品は海外でも人気を博し、中国、台湾、韓国、アメリカで紙書籍、電子書籍で流通している。

  • 第5話「何故、大人向け電子書籍絵本を始めたのか?」

    そんなこんなで高校3年の夏ごろから大学進学を決めた私は全く勉強していない自分の学力で合格できそうな大学を探し始めました。最初は東京の大学を考えていましたが、両親に負担をかけすぎると思い、関西の大学で、そして親戚がいて馴染みの深い京都の大学を目指すことにしました。 学部は文学部一択。 専攻は国文学か哲学。この当時、倫理の先生の熱血指導と迷える子羊化していた私は哲学が大変好きなマニアックな人物になってもいました(哲学書を読み漁っていました) オープンキャンパスなどしている暇も発想もなく、進学雑誌を読んで勝手なイメージのままで自分に合いそうな大学をピックアップし、1つの大学に決定しました。 しかし、その大学は偏差値60以上の所謂、ちょっと難しい総合大学で、相当自分を追い込んで勉強しないと合格できない先でした。 そうこうしていると、夏休みとなり、バンド仲間の同級生が1週間ほど神戸の代ゼミの夏期講習を受けにいくというので、それなら俺も一緒に行くということで、元町の遺族会館に2人で宿泊しながら私立大学受験に必要な3科目の夏期講習に通いました。 同じ兵庫県でも人口4,000人程度の田舎待ちで暮らしていた私には、神戸での1週間生活は当然ながら刺激的でした。 同じ高校3年生でも都会の子たちはファッションからあか抜けていて、とても同時代を生きているとは思えませんでした(特に女の子は刺激的過ぎました) そんな状況なので、カルチャーショックと共に1週間は光陰矢の如く経過し、大した学習成果は有りませんでしたが、ただ、受験とはやはり戦争なのだと痛感し、帰路につきました。 それからは1日10時間勉強するようにマインドセットし、毎日朝型まで勉強していました。 受験日は決まっているため、期間を定めると後はやるだけなので何も考えずに取り組むことができました。 そのようなモーレツな日々が続いた秋口に事件は起きました。 高校のマラソン大会を終えた次の日の土曜日だったと思います。 朝から何だか左胸が痛いな、締め付けるような痛みがドンドン強くなってきて、呼吸もしづらくなっていました。 土曜日でしたが、家には祖母しかおらず、どうしたものかと思っていましたが、暫くすると母が帰ってきて、そのまま近所の町医者を受診したところ、肺に穴が開く「気胸」という病気と診断されました。 スグに総合病院へ向かい、空気が漏れるのを防ぐための応急処置を受け、この病気は一時的に治っても再発率が非常に高いため、手術を受けることになりました。 そこから2週間ほど、呼吸器循環器病棟の相部屋に入院したのですが、この時の体験は中々の出来事となりました。 ( 絵本屋.com の創業秘話シリーズですが、私の半生が創業理由になるためまだまだ続きますのでご了承下さい(笑)) 絵本屋.com とは 2015年11月からサービスを開始した、大人向け電子書籍絵本レーベル。 大人が笑える、泣ける、癒されるといったピュアな感情を得られる絵本を所属の絵本作家陣と共に創作し、各種電子書籍絵本ポータルサイトで販売している。代表作のサトウヒロシ作 「明日死ぬかもしれないか今お伝えします」 はアマゾンキンドルストア総合ランキング第2位を獲得する大ヒット作(2018年12月にMBS「ちちんぷいぷい」に今井とサトウヒロシが生出演で作品が放送されている)絵本屋.comの一部の作品は海外でも人気を博し、中国、台湾、韓国、アメリカで紙書籍、電子書籍で流通している。

  • 第4話「何故、大人向け電子書籍絵本を始めたのか?」

    記憶が曖昧になってきていますが、バンド活動以外、最低な青春時代を送っていた私の高校3年の初夏頃だったと思うのですが、休みの日に自分の部屋で過ごしていると、部屋のインターフォンがなりました(私の実家は民宿を営んでいたため、各部屋にインターフォンを設置していました。1階のリビングから3階の私の部屋への連絡は専らそれでした) 私「何?」 母「何か、家庭教師の案内みたいな人から秀司宛に電話がはいってるけど」 「なんやそれ?」 この頃の時代は訪問販売、セールス電話の大全盛期のため、よく解らない営業がしょっちゅうアプローチしてきました。 その電話に私は「大学には進学せずに、やりたいことがあるので」と秒殺で会話を終わらせようと、渋々、子機に出ました。 私「はい、もしもし」 営業マン「もしもし。秀司君ですか?私は〇〇の〇〇と申しまして、今、高校3年生の学生に進学のための色々なサービスの案内をしています。秀司君は高校卒業後はどうされるのかな?」 初めての電話なのに、非常に距離感の近い、そして熱心な雰囲気の口調に戸惑いながら私はこう答えました。 私「ボクは高卒でフリーターになって、渋谷でストリートミュージシャンになろうかと思っています」 このダメダメな返答で、この営業マンも「ああ、そうですか。解りました」と即答の上、この電話は終了すると思いきや…! 営業マン「うわ!凄いな!ええやん!夢があって羨ましいわ」 私「そうですか…」 営業マン「それなら一層、大学へ行った方がええで!」 私「?」 営業マン「今のミュージシャンって、大概、大卒やで!サザンの桑田さんは中退やけど。秀司君の好きなミュージシャンは誰?」 私「そうですね、長渕剛が好きですね」 営業マン「長渕さんか!九州産業大学中退やね。」 私「…?」 営業マン「フリーターで、東京に出てミュージシャンになるのもいいけど、大学に進学して音楽サークルに入ってもミュージシャン目指せるし、その方がお得やで!」 私「…(何だ、この新しい発想は!?)」 営業マン「だから、一回、進学を考えて、その上で将来のことを改めて考える方が色々良いことあると思うけどね」 その後、なんやらかんやら四方山話をして電話を終了したのですが、私の人生に強烈な影響を与えてくれたのはこの名前も覚えていない、顔も見たことのない、学習系企業の営業マンでした。 この素晴らしいアイデアを基に、私は高校3年の夏ころから遅すぎる受験勉強に進むのでした。 しかし、更に事件は続きます。 全てはネガティブシンキングの結果だと、随分、大人 になってから気づくのですが…。 絵本屋.com とは 2015年11月からサービスを開始した、大人向け電子書籍絵本レーベル。 大人が笑える、泣ける、癒されるといったピュアな感情を得られる絵本を所属の絵本作家陣と共に創作し、各種電子書籍絵本ポータルサイトで販売している。代表作のサトウヒロシ作 「明日死ぬかもしれないか今お伝えします」 はアマゾンキンドルストア総合ランキング第2位を獲得する大ヒット作(2018年12月にMBS「ちちんぷいぷい」に今井とサトウヒロシが生出演で作品が放送されている)絵本屋.comの一部の作品は海外でも人気を博し、中国、台湾、韓国、アメリカで紙書籍、電子書籍で流通している。

  • 第1話「何故、大人向け電子書籍絵本を始めたのか?」

    私、 絵本屋.com 主宰の今井が、2011年9月1日に大人向けの電子書籍絵本サービスを始めようとして立ち上げた個人事務所の ピースライフジャパン は今年で13年目を迎えました。 絵本屋.com は2015年11月から正式にサービスを開始し、9年目となります。 このブログでは私が絵本屋.comを始めるきっかけとなった出来事や動機について、まずは書いていこうと思います。 絵本屋.com の着想は恐らく、大昔の私の幼少期の体験が基にあると考えています。 今から40年以上前のことですが、私は小学生の頃、共働きの両親の長男として小さな田舎町で祖母に面倒を見られながら毎日を過ごしていました。 その頃のエンターテインメントと言えばTVとマンガでしたが、家には殆ど誰もいなかったため、大量に裏紙として利用される予定の新聞の折り込みチラシに絵を描きまくって時間を潰す日々を送っていました。 そんな生活を何年間もしていると、当然ながらデッサンの能力は向上し、絵が得意な子供になるわけで、いつしか漫画家やイラストレーターに憧れるようになりました。 今ではめんどくさくて絵はもう描きませんが、その頃は一番の娯楽でプラモデルを作るか絵を描いたり、マンガを描いたりしていました(教科書は落書きだらけ、国語なんかは作家の写真を如何に別人にできるかにハマっていました) そんな感じで時は流れ、美術の成績はずっと最高のまま、中学卒業までは「絵描き」になる!が自分の世界の中心で順調に過ごしていました。 この自分の世界の小ささが、この後に大問題を起こしていくのですが! 15、16歳の超思春期に良くある罠にハマり、それからは相当ダメダメな青春を私は迎えていくのです…(第2話へ続く) 絵本屋.com とは 2015年11月からサービスを開始した、大人向け電子書籍絵本レーベル。 大人が笑える、泣ける、癒されるといったピュアな感情を得られる絵本を所属の絵本作家陣と共に創作し、各種電子書籍絵本ポータルサイトで販売している。代表作のサトウヒロシ作 「明日死ぬかもしれないか今お伝えします」 はアマゾンキンドルストア総合ランキング第2位を獲得する大ヒット作(2018年12月にMBS「ちちんぷいぷい」に今井とサトウヒロシが生出演で作品が放送されている)絵本屋.comの一部の作品は海外でも人気を博し、中国、台湾、韓国、アメリカで紙書籍、電子書籍で流通している。

  • 第3話「何故、大人向け電子書籍絵本を始めたのか?」

    10月下旬になり、漸く秋の季節を感じる気温になってきましたね。 今朝は中々冷えて、防寒を意識し始めました。風邪に注意です。 さて、第2話の続きですが、15歳当時の私はセルフイメージを良くするためにペンをギターに変えたというところで話は終わっていましたが、ここからが大問題に直面してしまうターニングポイントに遭遇します! 幼少期の私は好きなものや好きなことが明確であり、先のブログで述べていたように将来の夢が明確にありました。 最初は絵描き、その後はミュージシャンと、とても純粋に夢を抱くことが出来ていたのです。 しかし、この純粋さが仇になるターニングポイントがあったのです。 ここから話が複雑になっていき、ゆくゆく絵描きもミュージシャンも諦めてしまうほどの影響を自分で自分に与えてしまうのですが…。 それは高校入試です! 先のブログの通り、エンタメカルチャー(主にサブカルチャーですが)にどっぷりハマっていた幼少期の私は勉強などする暇など有りません。 学校のテストなど、一夜漬けで体よくやっつけるだけで要領のみで乗り越える日々でした。 それもこれも将来の夢が定まっていて、学歴などは関係なく、絵や音楽の才能を磨くことが最も大事であると確信してしまっていたためでした(これが自分の世界の狭い視野です) 適当な高校の普通科に進学し、その後は上京して、フリーターでもしながら渋谷でストリートミュージシャンをしてチャンスを掴もうと漠然と考えていました。 そう、こんな感じのアホ過ぎる私でしたが、わざわざ担任の先生が自宅まで来て、進学校への進学案内に来てくれたのに、親の前で勉強はしたくないので普通の高校で良いと断ってしまたのです。 ここからは敢えて端折りますが、この適当な考えの結果、自分のイメージと余りにもかけ離れた高校生活に突入していき、その当時は何もかもやる気を失くしてしまいました。 唯一の希望はギターを弾くことくらいでしたが、ドンドン、超ネガティブな自分に変化し、今振り返っても最悪な3年間でした。全て自分のせいです。 (今ならばどのような環境でも自分の考え方ひとつで改善できる自信がありますが、当時は全て環境のせいにしていました。これこそ思春期のしょうもなさですよね) そんな高校生活を何とか乗り越えれたのはバンド仲間の存在でした。 バンドも作れず、音楽仲間も出来なければとっくに自主退学していました(実際、自主退学する同級生もいましたので…) そして、超やる気のない日々を送っていた高校3年の春か初夏頃だったと思いますが、1本の電話が自宅にかかってきました。 その電話はとても刺激的な内容でした!(第4話へ続く) 絵本屋.com とは 2015年11月からサービスを開始した、大人向け電子書籍絵本レーベル。 大人が笑える、泣ける、癒されるといったピュアな感情を得られる絵本を所属の絵本作家陣と共に創作し、各種電子書籍絵本ポータルサイトで販売している。代表作のサトウヒロシ作 「明日死ぬかもしれないか今お伝えします」 はアマゾンキンドルストア総合ランキング第2位を獲得する大ヒット作(2018年12月にMBS「ちちんぷいぷい」に今井とサトウヒロシが生出演で作品が放送されている)絵本屋.comの一部の作品は海外でも人気を博し、中国、台湾、韓国、アメリカで紙書籍、電子書籍で流通している。

  • 第2話「何故、大人向け電子書籍絵本を始めたのか?」

    さて、昨日(2024年10月21日)から執筆を始めたブログですが、気分が乗っているうちに第2話をということで。 そう、15歳、16歳当時の私には超思春期問題が降りかかってきたのです。 その当時は週刊少年ジャンプ大全盛期でマンガやアニメ、そしてゲームがとんでもない勢いを持っていた時代で、私は第1話で述べたように一人の時間が多分にあったため、それらに耽ってしまいました(勉強なんてしている暇など有りません) もはやお気づきだと思いますが、そんな超インドアな少年に社交性など皆無であり、コミュニケーション能力は全く磨かれず、自分では気づきませんでしたが、その頃に台頭していたオタクのような存在になっていたのです(私はオタクを否定しているのではなく、私は自分をオタクではないと思っていたのでという主旨ですのでご理解下さい) 当時のオタクに対する世間の印象は余り良くなく、「ん?もしかして、俺は誤解されているのか?」と漸く気づき、趣味嗜好を刷新しないと自分のイメージが思わぬ方向に向かってしまうと危機感を覚え、その時、握りしめていたペンをギターに持ち替えたのでした。 (これはこれで良い判断でしたが、絵が描けなくなった今ではペンも握ったままで良かったと反省しています) 小学校、中学校の音楽の時間に耳にするクラシックは相性が合わず、勘弁して欲しかったのですが、歌謡曲も全盛期時代であり、沢山の楽曲を毎日耳にする中で、自然と音楽は好きになり、その中でもロックな音楽に痺れていたことから「そうだ、ロックをしよう!ロックをしているならインドアな印象を変えられるはず!」と単純に思い、当時1万円くらいのストラトモデルを音楽雑誌に掲載されていたVIVA楽器から通販で購入し、絵描きの道から音楽の道に大転換したのでした。 そこからは音楽ばかりの日々で、私のイメージもギターを弾いている人、バンドをしている人、多分ロックな人になっていくのでした。 しかし、ここでもまた大問題が発生するのです!(そんなんばかりです) 第3話へ続く。 絵本屋.com とは 2015年11月からサービスを開始した、大人向け電子書籍絵本レーベル。 大人が笑える、泣ける、癒されるといったピュアな感情を得られる絵本を所属の絵本作家陣と共に創作し、各種電子書籍絵本ポータルサイトで販売している。代表作のサトウヒロシ作 「明日死ぬかもしれないか今お伝えします」 はアマゾンキンドルストア総合ランキング第2位を獲得する大ヒット作(2018年12月にMBS「ちちんぷいぷい」に今井とサトウヒロシが生出演で作品が放送されている)絵本屋.comの一部の作品は海外でも人気を博し、中国、台湾、韓国、アメリカで紙書籍、電子書籍で流通している。

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