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第7話「何故、大人向け電子書籍絵本を始めたのか?」



1995年4月に私は京都の大学生になったのですが、その前に1995年1月に阪神淡路大震災、1995年3月オウム真理教による地下鉄サリン事件ととんでもない災害、事件が起きていました。


つまり、相当カオスな時期に私は上京都することになったのでした。


入学時も京阪神には大震災の影響が残り、神戸方面から進学してきた同級生たちは自宅が崩壊しているなど、厳しい状況下のままでした。


そんな時代でしたので、中々晴れの大学生活という明るい雰囲気ではなく、重々しい雰囲気がありました。


そして何より大衆大学に進学した私には京都の学歴格差社会というカルチャーショックが待ち受けていました。


要するに難関大学、銘柄大学以外はアホ扱いされる超厳しい向かい風が吹くことを18歳で初めて知ったのでした(今の多様性やらなんやらの時代ではNGな差別的なふるまいは実に普通でした)


そのようなレッテル文化を味わったのと、滑り止めということと、尚且つ大学進学はミュージシャンになるための口実であると割り切っていたため、スグに自主退学しようと考えました。


しかし、親の手前、それはできないと道徳心が抑止力を働かせ、世間からアホ扱いされながらも兎に角、留年せずに卒業しよう、そして4年間の間に音楽活動に集中していこうと思い、音楽サークルに入ったのですが、大学近くのプレハブのようなアパートに住んだのが失敗で、ギターは騒音問題で思うように弾けず、ドンドン中途半端さが増していき、2回生の時に音楽サークルも辞めてしまいました。

まさにモラトリアムな日々を送るようになっていきました。


要領良く日々を過ごし、音楽的センスもなく、技術も進歩せずで袋小路状態であった私はそれでも夢を諦めずに長期戦モードに移行し、一度は就職した上で夢を追いかける選択をしました。



時はバブル経済崩壊後の大不況時代であり、超就職氷河期。


就職活動の話だけで、相当なシリーズになりますが、これもこの創業秘話シリーズでは割愛しまして、どうせ、どこで働いても厳しい社会人生活だと踏んだため、音楽関連の企業に就職しようと思い、当時は大阪本社の有線放送に営業として就職しました。


まだまだ私のキャリアドリフトは続いていきます…(無計画甚だしいアホですよね)







2015年11月からサービスを開始した、大人向け電子書籍絵本レーベル。

大人が笑える、泣ける、癒されるといったピュアな感情を得られる絵本を所属の絵本作家陣と共に創作し、各種電子書籍絵本ポータルサイトで販売している。代表作のサトウヒロシ作「明日死ぬかもしれないか今お伝えします」はアマゾンキンドルストア総合ランキング第2位を獲得する大ヒット作(2018年12月にMBS「ちちんぷいぷい」に今井とサトウヒロシが生出演で作品が放送されている)絵本屋.comの一部の作品は海外でも人気を博し、中国、台湾、韓国、アメリカで紙書籍、電子書籍で流通している。

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